歌舞伎町に歌舞伎座はない:町名の由来と街の成り立ち
歌舞伎町という町名は、建てるはずだった歌舞伎の劇場に由来します。劇場の誘致は実現せず名前だけが残りました。新宿区の公式資料をもとに、1948年の町名誕生から現在までの成り立ちを整理します。
歌舞伎町に、歌舞伎座はありません。歌舞伎の劇場も、演舞場もない。それでも街の名前は歌舞伎町です。
はぐらかしのようですが、答えははっきりしています。建てるつもりだったのです。そして、実現しませんでした。 名前だけが先に決まり、劇場が来ないまま80年近くが過ぎた——それが、この街の名前の正体です。
名前は、実現しなかった劇場のもの
新宿区が発行した『歌舞伎町街並みデザインガイドライン』(平成25年)は、命名の経緯をこう記しています。
昭和20年(1945年)の空襲で焼け野原になった新宿角筈で、町会長の鈴木喜兵衛が、当時 東京都の都市計画課長だった石川栄耀のもとへ戦災復興の相談に出向きました。二人は瓦礫の上に新しい都市空間を計画し、そのコンセプトを「歌舞伎の演舞場を建設し、これを中核として芸能施設を集め、新東京の最も健全な家庭センターを建設する」と定めます。この構想から『歌舞伎町』と命名されました。
そして同資料は、歌舞伎劇場の誘致は実現しなかったと続けます。
つまり歌舞伎町という名前は、街の実態を写したものではなく、達成されなかった計画の名前です。同資料はこの一連を「今日で言うところの民間主導のまちづくり」であり、「わが国の近代都市計画を語る上で欠くことのできないプロジェクト」と位置づけています。行政が上から作った街でもなければ、自然に盛り場になった街でもない、という点は押さえておく価値があります。
なお、この計画は名前だけでなく街路の形にも及んでいて、歌舞伎町が歩いていて方向感覚を失いやすいのも設計の結果です。その仕組みは主要な通り・ランドマークで見る歌舞伎町の歩き方で扱っています。
町名としては、まだ80年
歌舞伎町商店街振興組合の公式サイトによれば、「歌舞伎町」が誕生したのは昭和23年(1948年)4月1日です。それ以前の町名は角筈北一丁目・角筈一丁目北町でした。
同組合は、鈴木喜兵衛が構想したのは「道義的繁華街」だったと記しています。健全な家庭センター、という先ほどのコンセプトと同じ方向です。石川栄耀が残した言葉として同組合が挙げるのは「都市は人なり」。
そこから街には施設が集まりはじめます。
- 昭和25年(1950年):東京産業文化博覧会が開催され、現在のシネシティ広場周辺の礎になった
- 昭和31年(1956年):東急文化会館、ミラノ座、新宿コマ劇場が集積
- 昭和38年(1963年):歌舞伎町商店街振興組合が発足
劇場は来なかったが、映画館と劇場と演芸の場は集まった。名前が指していた「芸能」は、歌舞伎という形ではないやり方で、いったんは現実になったわけです。
旧町名は、今も生きている
歌舞伎町を「歴史のない街」と見る向きがありますが、これは事実に反します。街の地層は、今も神社の氏子圏という形で残っています。
同組合の記述によれば、歌舞伎町のなかで初詣や祭礼の行き先は、場所によって異なります。
- 1丁目のほとんど:旧・角筈のため、十二社熊野神社(西新宿2-11-2)の氏子
- 2丁目:かつて西大久保だったため、稲荷鬼王神社(歌舞伎町2-17-5)の氏子
- 歌舞伎町1-1(ゴールデン街のあたり):かつて三光町だったため、花園神社(新宿5-17-3)の氏子
同じ「歌舞伎町」という住所なのに、一本の通りを渡ると氏神が変わる。これは1948年に複数の町を束ねて新しい町名を付けた結果で、町名は塗り替えられても、その下にあった町の境界は消えていないということです。街の中に神社が点在しているのではなく、もともと別の町だったところに、後から一つの名前が被さっている。
ちなみに稲荷鬼王神社は、厄除けの「鬼の王様」の名を持つ全国唯一の神社とされ、天保2年(1831年)に稲荷神社と鬼王神社が一つになったものだと同組合は記しています。歌舞伎町という町名より100年以上古い。
街の性格が動いた節目
その後、街の性格は何度か大きく動いています。
- 昭和59年(1984年):キャバクラ「新宿キャッツ」が誕生。「キャバクラ」という言葉もこのとき生まれました
- 昭和60年(1985年):新風営法(風適法)が施行され、深夜営業の規制によって街の経済構造が変わった
- 平成13年(2001年):雑居ビル火災(44名が死亡)。翌年、警視庁が街頭防犯カメラを設置
- 平成17年(2005年):歌舞伎町ルネッサンス推進協議会が発足
- 平成20年(2008年):長く街のランドマークだった新宿コマ劇場が閉館
- 平成25年(2013年):新宿区の客引き行為等禁止条例が施行
- 平成27年(2015年):新宿東宝ビルが竣工し、ホテル開業が続く
- 令和5年(2023年):東急歌舞伎町タワーが開業
こうして並べると、この街が「昔から変わらない歓楽街」ではないことがよく分かります。20年おきに違う街になっている、と言ったほうが実態に近い。当メディアを運営する VISION GROUP は2007年から歌舞伎町で店舗を営んでおり、この表の後半——コマ劇場の閉館から東宝ビル、東急タワーまで——は現地で見てきた期間にあたります。
名前だけが残った、ということ
歌舞伎座を探しに来た人は、必ず空振りします。ですが由来を知ってから歩くと、見えるものが少し変わります。この街は、来なかった劇場の名前を80年間名乗り続けている街です。芸能を集めるという当初の構想は、歌舞伎ではない別の形——映画館、劇場、そして接客業——で埋められてきました。
町名の下には角筈と西大久保と三光町が眠っていて、祭礼の日にはそれが表に出てくる。次に歌舞伎町を歩くとき、一番街のアーチをくぐる前に一度だけ、ここが焼け野原から始まった計画都市だったことを思い出してみてください。同じ通りが、少し違って見えるはずです。
よくある質問
- 歌舞伎町に歌舞伎座はあるのですか?
- ありません。新宿区の『歌舞伎町街並みデザインガイドライン』によれば、歌舞伎の演舞場を建設し、それを中核に芸能施設を集める構想から「歌舞伎町」と命名されましたが、劇場の誘致は実現しませんでした。町名だけが残り、現在に至ります。
- 「歌舞伎町」という町名はいつからありますか?
- 昭和23年(1948年)4月1日です。それ以前の町名は角筈北一丁目・角筈一丁目北町でした。歌舞伎町という町名の歴史は80年ほどで、街としては比較的新しい部類に入ります。
- 歌舞伎町のなかで、初詣や祭礼の神社が場所によって違うのはなぜですか?
- 現在の歌舞伎町が、もとは複数の別々の町だったためです。歌舞伎町商店街振興組合によれば、1丁目の大部分は旧・角筈のため十二社熊野神社、2丁目は旧・西大久保のため稲荷鬼王神社、ゴールデン街のあたりは旧・三光町のため花園神社の氏子とされています。